このポストでは、物理学の始まりから最新の物理学研究までを主要論文や人物を紹介しながらまとめます。物理学を学び始める人にとって、最も大事なのは歴史的背景を知ることです。物理学は、実験的発見とその理論的考察、または理論的仮説とその実験実証による確認を繰り返しながら発展してきました。
物理学の幕開けとアリストテレスの登場
物理学は全ての科学の基礎とも言える学問です。それは、観察された現象の本質と原因を見つけ出そうとする学問とも言えます。3000年以上前の人類には物理学と呼ばれる学問は存在せず、代わりに迷信的な宗教が自然現象を説明していました。例えば太陽が登るのは神が戦車を駆って空を行くから、といった具合に。これに対し、初めて科学的とも呼べる観察と理性に基づいた説明をしようとしたのが古代ギリシャ人です。宗教に頼らず初めて自然世界を説明しようとしたのがタレス(紀元前624年頃〜前546年頃)です。彼は、万物の元のものは全て水であり、大地は水の上に浮かんでいると考えました。(当然、その考察はのちに否定されますが笑)そして次に科学的な考察を行った有名な人物が、アリストテレス(紀元前384年〜前322年)です。彼はあるテーマについてそれまでに書かれたもの全てを調べ、実験的観測と測定を行った上で、理性を適用して結論に到達するという、今日の科学的手法のプロトタイプを開発しました。彼はこの手法であらゆる学問の基礎を築いたことから「万学の祖」と呼ばれています。物理学の分野では運動の基礎(力学)について考察し、地球を中心に太陽や月、複数の惑星が同心円状に運動しているとする天動説や、地球が球体であることの根拠を示しました。このように、アリストテレスを中心として古代ギリシャ人は今にも通ずる手法によって科学の基礎を築き上げます。しかし、その絶頂期が終わると科学的手法を用いて自然界を理解するというアプローチは下火になります。
アラブ人の科学的実験
その後、同様に科学的手法を用いて研究をし出したのが7世紀ごろのアラブ人です。イブン・アル=ハイサム(965〜1040)は実験を通して仮説を検証し、得られたデータを解釈して結論へとたどり着くという現代の実験的方法に近い手法を作り上げました。彼はその手法によって、光が屈折することを世界で初めて実験的に証明しました。また、「眼から発する放射物によって物が見える」というそれまでの説とは反対の理論を支持し、物の放つ光を受けて眼の中に像が結ばれると唱えました。つまり、物が見える現象を解明した最初の科学者でもあります。彼はその功績から「近代光学の父」と呼ばれています。また、同じくアラブの科学者であるアブーレイハーン・ビールーニー(973〜1048)は、不完全な器具や先入観によって実験結果に誤差や誤った解釈がなされる可能性に気づき、実験を何度も繰り返した上でそれぞれの結果を組み合わせるという方法を推奨しました。彼はその手法による研究を生涯に渡って行い、数学、天文、地理、歴史にわたって100篇を超える著書を書き、中には、地球の半径を約6,339.6kmと計算したものもあります。これは実際の半径6,378kmと極めて近い値を示しています。その他にもいくつかのアラブ人の科学者が、現代にもつながる実験手法を確立し、一時代を築きました。しかしやがて、イスラム世界での科学的探究は神への冒涜行為とみなされ、阻害されることとなります。その後、12世紀になるとアラブの科学とアリストテレスの著作はラテン語に翻訳されてヨーロッパへ流れ込みます。
ヨーロッパの科学革命とアイザックニュートンの登場
イギリスのフランシスコ派修道士ロジャー・ベーコン(1210年頃〜92年頃)は当時としては珍しく理論だけでなく経験知や実験観察を重視し、アリストテレスの理論を実験的に検証しました。ベーコンは後世において顕微鏡、望遠鏡、飛行機や蒸気船が発明されることまで予想し、実験科学を唱えた彼はその功績により近代科学の先駆者と呼ばれています。また、同じくイギリスの法学者で哲学者のフランシス・ベーコン(1561〜1626)は当時台頭してきた科学に強い関心を持ち、実験を用いた科学研究の重要性を説き、現代まで続く科学的手法の創始者であるとされる。「知は力なり」の名言で有名な彼は、科学的実験の際には「イドラ(先入観)」を取り除き、その上で調査・実験・考察をすることの重要性を説いている。また、同時期に台頭してきた科学者に、ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)がいる。彼はピサの斜塔から大小二つの物体を同時に落として物体の落下について研究し、「落下の速さは、その重さと無関係である」ことを初めて実証しました。また、地球は太陽の周りを回っているというニコラウス・コペルニクス(1473〜1543)の「地動説」を支持した人物でもあります。こうした様々な発見から科学への関心が高まり、17世紀以降はヨーロッパ各地に科学協会が生まれ、ヨーロッパは科学革命の中心的な場所となります。ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)は天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱え、天体物理学者の先駆的存在となります。また、この頃に登場したのがアイザック・ニュートン(1643〜1727)です。ニュートンは万有引力の法則を発見した他、微積分法や光の分析について詳しく解説した『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』を1687年に著しました。数学を厳密に物理学に活用し力学の基礎を築いたことで、彼は理論物理学を完成した最初期の人物として知られています。
18世紀から19世紀の物理学(古典物理学の完成)
18世紀に入ると、ニュートンの『プリンキピア』がフランスで広く受け入れられます。ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717〜1783)は著書『百科全書』にてダランベールの原理を発表し、ニュートン力学をより適用範囲の広い理論として書き換えます。また、ダランベールの書いた原理をもとにして、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736〜1813)はこれを実際の問題により適用しやすい形に定式化した『解析力学』を発表します。また、レオンハルト・オイラー(1707〜1783)は複数の物体や広がりのある物体の運動に対してニュートンの運動方程式を用いる方法を示し、流体についても基本方程式を導き出しました。天体については、ピエール=シモン・ラプラス(1749〜1827)がニュートン力学をもとに天体の動きを説明した『天体力学』を発表します。また、18世紀には力学の他に電磁気学、熱力学に関する研究も盛んに行われるようになりました。
電気に関してはスティーヴン・グレイ(1666~1736)は電気伝導を始めて発見し、導体と不導体の区別が認識されるようになりました。オランダのライデン大学ではライデン瓶と呼ばれる静電気を蓄える装置(コンデンサ)が初めて作られた他、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)はライデン瓶を用いて雷が電気であることを実験によって証明しました。1753年にはジョン・キャントン(1718~1772)によって静電誘導が発見され、同時期にはヘンリー・キャヴェンディッシュ(1731~1810)とシャルル・ド・クーロン(1736~1806)によってクーロンの法則(電荷と電荷との間に働く電気力の向きと大きさに関する法則)が発見されました。また、キャベンディッシュは水素を発見するなど、化学分野においても重大な貢献をしました。その後、ドイツのゲオルク・オーム(1789〜1854)は電圧が電流と抵抗の積に等しいというオームの法則を発表し、フランスのアンドレ=マリ・アンペール(1775~1836)は1820年に電流とそのまわりにできる磁場との関係を表すアンペールの法則を発見します。そして、イギリスのマイケル・ファラデー(1791~1867)は電磁誘導と電気分解の法則を発見しファラデーの法則として発表します。それらの法則は最終的にスコットランドのジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831~1879)によってマクスウェルの方程式としてまとめられ、古典電磁気学が確立されました。
熱に関しては、1720年にファーレンハイト(1686〜1736)によって華氏目盛が提唱され、1742年にはセルシウス(1701〜1744)が摂氏目盛を提唱します。フランスのジョゼフ・フーリエ(1768〜1830)は熱伝導の基本方程式を流体についての数学的考察を用いて説明し、これを解くためにフーリエ展開という数学的に重要な方法を編み出しました。また、イギリスのジェームズ・プレスコット・ジュール(1818~1889)はジュールの法則を発見し熱の仕事当量を見積もることに成功しました。彼の研究はユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー(1814~1878)やヘルマン・フォン・ヘルムホルツ(1821~1894)によってエネルギー保存の法則(熱力学第一法則)としてまとめられました。また、ケルビン卿ウィリアム・トムソン(1824~1907)は絶対温度(ケルビン)を導入したほか、ルドルフ・クラウジウス(1822~1888)と同時期に熱力学第二法則(熱は常に温度差をなくする傾向を示し、したがって常に高温物体から低温物体へと移動する。)を確立させます。また、クラウジウスは1865年の論文でエントロピーの概念を熱力学に導入します。
このように、18世紀~19世紀は力学・電磁気学・熱力学において様々な法則が発見され、現在「古典物理学」と呼ばれる物理学の基礎的な理論が完成していくのでした。また、古典物理学の理論をもとにした発明も盛んに行われた時期でした。ダイナマイトを発明し巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベル(1833〜1896)はその遺産によってノーベル賞を創設し、1901年から傑出した発見をした人にノーベル賞が授与されることになりました。
ノーベル賞受賞者たちと現代物理学の誕生
19世紀末になるとヴィルヘルム・レントゲン(1845〜1923)によってX線が発見され、ジョゼフ・ジョン・トムソン(1856〜1940)によりX線と陰極線の正体である「電子」が発見されます。放射線の研究はその後マリ・キュリー(1867〜1934)に引き継がれ、ポロニウムとラジウムという2つの放射性元素が発見されます。電子や放射線が発見されたことで、物理学はようやくミクロの世界に足を踏み入れることになり、原子物理学が発達することになりました。ニュージーランドのアーネスト・ラザフォード(1871〜1937)は金箔にアルファ線という放射線を当てる実験を行い、原子の中心には正の電荷をもつ重い原子核が存在し、その周囲を軽い電子が回っているということを明らかにしました。また、その後の実験でラザフォードは陽子を発見し、原子核には陽子と同質量で中性の粒子が存在することを予言しました。イギリスのジェームス・チャドウィック(1891〜1974)はその粒子を実験で発見し「中性子」と名付けました。
古典物理学はニュートン力学のように物体の運動やあらゆる事象は常に定まっておりそれらは原理から予測可能であること、時間の流れは一方向で普遍的であること、という前提の上で成り立っていました。しかしこの時代になると、ミクロの世界の物理は古典物理学では説明不可能であることが実験的・理論的に明らかになってきました。例えばグスタフ・キルヒホフ(1824〜1887)が示した黒体放射やハインリヒ・ヘルツ(1857〜1894)による光電効果などです。黒体放射に関しては1900年にドイツの物理学者マックス・プランク(1858年〜1947)によるプランクの法則によって説明されました。プランクはこの法則の導出を考える中で、物体が光を吸収または放射する時、そのエネルギーは、エネルギー素量ε = hν の整数倍でなければならないと仮定しました。光電効果に関しては1905年、アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)が自身の論文『光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について』内で導入した光量子仮説によって、説明付けられました。その他にも1905年はアインシュタインによってブラウン運動に関する論文や特殊相対性理論の発表、E=mc2で表される質量とエネルギーの等価性を述べた論文など4つの画期的な論文が提出され、「奇跡の年」と呼ばれています。これらの4つの論文は、量子力学や一般相対性理論とともに、現代物理学の基礎となっています。
プランクやアインシュタインによる「量子」の考え方はニールス・ボーア(1885〜1962)に引き継がれ、彼は原子内の電子にプランクの量子仮説を当てはめ、「電子の持つエネルギーはとびとびになる」とする、新たな原子モデルを考えました。また、フランスのルイ・ド・ブロイ(1892〜1987)は、光が波と粒子の二面性を持つならば、粒子だと考えられてきた電子も同じように波の性質を持つのではないかと考えました。さらに、オーストラリアのエルヴィン・シュレーディンガー(1887〜1961)はド・ブロイの考えを発展させ、シュレーディンガー方程式を使った量子力学、「波動力学」を誕生させました。シュレーディンガーはこの方程式を用いて、ボーアの原子模型で仮定されていた、電子の軌道半径やエネルギーがとびとびの値をとる条件が成り立つことを証明しました。シュレーディンガー方程式は、量子力学で最重要の式と言えるものです。この頃ボーアらにより、電子は観測されていない時は波として振る舞い、観測すると粒子として姿を表すという、コペンハーゲン解釈が発表されます。この電子の波を電子の発見確率を表す波と考えることをマックス・ボルン(1882〜1970)が提唱します。また、電子の位置の揺らぎと運動状態の揺らぎの間の関係性を不等式で表した「不確定性原理」をヴェルナー・ハイゼンベルグ(1901〜1976)が、電子の一つの軌道には最大2つまでの電子しか存在できないという「パウリの排他律」をヴォルフガング・パウリ(1900〜1958)が発表します。彼らの発見により、電子の軌道と原子核の構造がより詳細にわかるようになりました。またこの頃、陽子と中性子の間に電磁気力よりも圧倒的に強い「核力」と呼ばれる力が働き、陽子や中性子は常に「中間子」と呼ばれる粒子を受け渡すことで核力が生じると予言した湯川秀樹(1907〜1981)はその後イギリスのセシル・パウエル(1903〜1969年)が中間子を実際に発見したことによって日本人として初めてノーベル賞を受賞しました。量子力学の誕生によって、よりミクロな世界(素粒子物理学)に関する研究や、よりマクロな世界(天文学)、そして身近にある物質の物理(固体物理学)がその後花開くようになりました。
ミクロな世界の物理学(素粒子物理学)では、1950年ごろから「宇宙線」の観測や加速器での実験によって、陽子でも中性子でも電子でもない新たな粒子(ミュー粒子、ニュートリノ、陽電子、反陽子など)がたくさん見つかってきました。そのため、1964年にアメリカのマレー・ゲルマン(1929〜2019)とジョージ・ツワイク(1937〜)は、陽子や中性子はより小さな素粒子が集まってできているという説を唱え、その粒子たちを「クォーク」と名づけました。1967年にはジェローム・フリードマン(1930〜)とヘンリー・ケンドール(1926〜1999)、リチャード・テイラー(1929〜2018)によって、ラザフォードが原子核を発見した方法に似た実験が行われ、クォークの存在が裏付けられました。現在陽子と中性子はクォークが3つ集まってできているとされており、陽子の中ではクォークが光速で飛び回っていると言われています。また、それらのクォークは「強い力」と呼ばれる力で結びついているのです。アメリカのデビッド・グロス(1941〜)、デビッド・ポリツァー(1949〜)、フランク・ウィルチェック(1951〜)らはこの強い力に関する研究で2004年にノーベル賞を受賞しました。また、素粒子レベルでしか表れない力に「弱い力」があります。弱い力を伝える素粒子は「ウィークボソン」と呼ばれ、1983年にCERNの研究グループ(カルロ・ルビア(1934〜)、シモン・ファンデルメール(1925〜2011)ら)がその存在を確認しました。弱い力は、放射性物質がベータ線を出す際の反応を引き起こす力です。さらに、素粒子の質量を生み出す源としてフランソワ・アングレール(1932〜)やピーター・ヒッグス(1929〜)によって予言されていたヒッグス粒子が2012年にCERNによって発見されました。日本の南部陽一郎(1921〜2015)は真空の対称性が自発的に破れることによって素粒子に質量が生まれるという「素粒子物理学における対称性の自発的破れの発見」で2008年にノーベル賞を受賞しました。また、CP対称性の破れをアメリカのジェームス・クローニン(1931〜2016)とヴァル・フィッチ(1923〜2015)がブルックヘブン国立研究所での観測で明らかにし、この破れの現象を説明するために益川敏英(1940〜2021)と小林誠(1944〜)が自然界に少なくとも3世代(6種類)のクォークが存在することを予言し、2002年ごろに実験によってそれが確かめられたことでノーベル賞を受賞しました。電磁気力に関する研究でもより詳細な分析が行われるようになり、電磁気力は光子の受け渡しで説明されることが朝永振一郎(1906〜1979)、ジュリアン・シュウィンガー(1918〜1994)、リチャード・ファインマン(1918〜1988)らによって説明されました(量子電磁気力学(QED))。また、1967年にはスティーブン・ワインバーグ(1933〜2021)、アブドゥス・サラム(1926〜1996)、シェルドン・グラショー(1932〜)らの3人によって電磁気力と弱い力を統一する、「電弱統一理論」が発表されました。素粒子に関する研究は現在でも活発に行われており、現在までに17の素粒子が発見されており、強い力、弱い力、電磁気力の3つの基本的な相互作用を記述するためのモデルとして標準模型が提示されています。
マクロな世界(天文学)に関しては1930年代にハンス・ベーテ(1906〜2005)が水素の「核融合」によって太陽の輝きが説明できることを示して、1967年にノーベル賞を受賞しました。また、マリア・ゲッパート=メイヤー(1906〜1972)とハンス・イェンゼン(1907〜1973)は太陽系の元素の存在度から原子核の殻構造を解明しました。宇宙創世時に「ビッグバン」と呼ばれる高温・高密度の灼熱の宇宙が存在していたことを1948年にジョージ・ガモフ(1904〜1968)によって提唱され、ビッグバンの名残の熱放射(光)とされる「宇宙背景放射熱」をアルノ・ペンジアス(1933〜)とロバート・ウィルソン(1936〜)が発見しビッグバンの証拠となりました。ウィリアム・ファウラー(1911〜1995)は宇宙における化学元素の合成に重要な核反応の理論的・実験的研究を行なったことによりノーベル賞を受賞しました。また、ブラックホールに関しては1916年に一般相対性理論から理論的に導かれ、その後インド人の学生スブラマニアン・チャンドラセカール(1910〜1995)が白色矮星の質量が太陽の質量の1.4倍になると半径がゼロの星(ブラックホール)になると唱え、その後実際にブラックホールが発見されることになりました。また、電波によって宇宙を観測する電波天文学も本格的に行われるようになり、イギリスのマーチン・ライル(1918〜1984)はレーダーを転用して、天体が発する電波を観測する装置を開発しました。ライルのグループにいたアントニー・ヒューイッシュ(1924〜2021)は極めて正確な周期で点滅する天体「パルサー」を発見し、それが中性子星であることを発見しました。また、イタリアのリカルド・ジャコーニ(1931〜2018)は1960年代にX線検出器をロケットで宇宙に打ち上げ、地球上では観測不可能な宇宙からのX線を観測する「X線天文学」を開拓しました。1974年にアメリカのラッセル・ハルス(1950〜)とジョセフ・テイラー(1941〜)は連星パルサーを発見し重力波の存在の間接的な証拠をとらえました。また、日本の小柴昌俊(1926〜2020)は恒星の最期に起きる「超新星爆発」で発生したニュートリノを自身が開発した「カミオカンデ」という実験装置によって世界で初めて発見しました。また、1998年には宇宙の膨張が加速していることをアメリカのソール・パールムッター(1959〜)のグループとオーストラリアのブライアン・シュミット(1967〜)、およびアメリカのアダム・リース(1969〜)のグループが発見し、その原因をダークエネルギーと言われる謎のエネルギーであるとしました。
物質に関する物理学(固体物理学)の研究でも、量子論を土台として様々な発見がされました。「金属」「絶縁体」「半導体」の性質を量子論によって解き明かし、その特性を利用してトランジスタを世界で初めて作ったウィリアム・ショックレー(1910〜1989)、ジョン・バーディーン(1908〜1,991)、ウォルター・ブラッテン(1902〜1987)らは1956年にノーベル賞を受賞し、その後の半導体産業の発展に大いに貢献しました。半導体に関するノーベル賞受賞者は他にもたくさん生まれ、例えば2009年にはCCDの発明によってウィラード・ボイル(1924〜2011)とジョージ・スミス(1930〜)が物理学賞を受賞しています。また、2014年には青色発光ダイオードを開発したことにより赤崎勇(1929〜2021)、天野浩(1960〜)、中村修二(1954〜)の3人の日本人がノーベル賞を獲得しました。低温状態の物理学に関しても様々な発見がなされ、絶対零度の近く(4.2K付近)になると水銀の電気抵抗が突然ゼロになる「超伝導現象」をカマリン・オネス(1853〜1926)が1908年に発見、液体ヘリウムを2.2K以下まで冷やすとどんな細い管でも抵抗なしで通過する「超流動」を1937年にピョートル・カピッツァ(1894〜1984)が発見しました。超伝導現象に関してはジョン・バーディーン、レオン・クーパー(1930〜)、ジョン・ロバート・シュリーファー(1931〜2019)らによる「BCS理論」によって理論的分析が行われ、超流動現象はレフ・ランダウ(1908〜1968)によって理論的説明がなされます。超伝導体には他にも興味深い性質があり、絶縁体を超伝導体ではさむと絶縁体をすり抜けて電気が流れる「ジョセフソン効果」をブライアン・ジョセフソン(1940〜)が予言しその現象が実際に確認されました。また江崎玲於奈(1925〜)とアイヴァー・ジェーバー(1929〜)は半導体と超伝導体におけるトンネル効果を発見しノーベル賞を受賞しています。1980年代には銅酸化物系の高温超伝導体が発見され、その後次々と転移温度の記録が更新されたことから、超伝導フィーバーが巻き起こります。高温超伝導体を発見したジョージ・ベドノルツ(1950〜)とアレックス・ミュラー(1927〜)は発見の翌年にノーベル賞を受賞するなど、科学界に大きなインパクトを残します。超伝導体には磁力線が侵入するとこわれる第I種と磁力線をある程度通せる第II種がありますが、その磁気的性質などを説明するヴィタリー・ギンツ(1916〜2009)らによる理論を元に、アレクセイ・アブリコソフ(1928〜2017)が第II種の機構を解明しました。一方、アンソニー・レゲット(1938〜)は超伝導理論を応用してヘリウム3の超流動を理論的に解明しました。また、レーザーに関しても様々な発見がなされました。レーザー光の誘導放出の理論がアインシュタインによって1916年に発表されたのち、1960年にセオドア・メイマン(1927〜2007)が開発に成功しました。また、レーザーと同じ原理で光をマイクロ波に置き換えた、メーザーを1954年にチャールズ・タウンズ(1915〜2015)、ニコライ・バソフ(1922〜2001)、アレクサンドル・プロホロフ(1916〜2002)が開発し、ノーベル賞を受賞しました。また、レーザーの意外な利用法として、気体を冷却するレーザー冷却法をスティーブン・チュー(1948〜)、クロード・コーエン=タヌージ(1933〜)、ウィリアム・ダニエル・フィリップス(1948〜)が開発しました。レーザー光は光通信にも使われており、1966年にチャールズ・カオ(1933〜2018)が理論的な計算によって、光ファイバーの材料に含まれる不純物を取り除けば100キロメートルを超える信号伝達が可能であることを示しました。
この項では様々なノーベル賞受賞者を紹介してきましたが、20世紀はちょうど、それまでの世界観を覆した量子論と相対性理論が誕生し、現代物理学が開花した時期と言えるでしょう。
最新の物理学とこれから
1874年にマックス・プランクが物理学を専攻したいと言ったとき、担当教員は、別のテーマにしなさい。物理学にはもう新しく発見するものは何もない。と助言しました。しかしそれから150年がすぎた今でも、物理学には発見すべきものがたくさん残されています。例えば、これまで発見されている4つの力(弱い力、強い力、電磁気力、重力)の統合は未だ成し遂げられていません。また、宇宙に関する秘密や、身近にある物質にも発見されていないたくさんの事実が残されています。これから物理学を専攻する人々に、まだまだ発見のチャンスがあることを歴史が証明しています。一緒に物理を楽しく学びましょう!
参考文献
1.Newtonライト2.0 3時間でわかる 物理 (ニュートンムック)